スタニスラフスキー 「Creating a Role」 TRAINER LABO トップ

スタニスラフスキー
Creating a Role
遺された最後の「俳優修業」の分析・研究

1.The Period of Study

 「準備作業」は三つの段階に分けられるでしょう。
@研究する A役の人生・生活を構築する B表現へと立ち上げる

FIRST ACQUAINTANCE WITH A PART

 スタニスラフスキーは、台本を初めて読んだときの第一印象を大事にせよといっています。 その後、詳細な分析に入りますが、初めて読んだときの新鮮さや興味や情熱は創造過程でも重要になります。そして第一印象は種であり、この種を大きく育てていくことになるのです。
  第一印象を大事にして読むには、俳優は、受け入れる気持ちで、適切な心の状態で、また感情を素直に感じる集中力、芸術的な感覚、オープンな精神が必要であるといっています。そして、純粋で新鮮な印象を受ける上で一番の大敵は偏見です。他人の意見も、弊害になるおそれがあるので、最初に台本に触れるときは外部からの影響を受けて偏見にならない状態で読みましょう。
  俳優の言語では、知ることと感じることは同意語ともいえます。 ですので、最初に読む際は創造的な感情で、しがらみを取り払ってください。俳優の想像力は、劇作家の作品に色づけをします。細かく分析しようと読むことはありません。最初はシンプルに、明確に、構造やエッセンス、本筋を理解しながらで結構です。劇作家の考えや感情、経験も感じ取ってみてください。
  そして、その後の作業で徐々に理解を深めていきます。空の雲間から徐々に光が現れていくように、広がっていきます。そして、最終的には闇が晴れ、光で覆われます。 ひとつひとつ様々な角度から解剖し、パズルを解いていきながら、読解の作業を進めていきます。

ANALYSYS

 二番目の準備作業は、分析プロセスです。文学的にも、哲学的にも、歴史的にも、様々な観点から分析ができます。しかし、俳優の分析は学者の分析とは異なり、感じるということが求められます。従って、俳優の分析は、とりわけ思考よりも感情で分析するのです。人は90%が潜在意識や感情から行動して、残りの10%が理性で行動しているものです。

〔創造的分析〕
@劇作家の仕事の研究
A創造的な作業で使う、精神的または他の素材への研究。作中や役柄に含まれるものであれば何でも。→インプロヴァイゼイションで使える
B 俳優自身について、同様の素材への研究。自己分析。素材は、ここでは生活や五感に関係する人の記憶、役の感情についてです。
C 意識、(特に)潜在意識両面で、創造的な感情概念への俳優自身の心の準備。
D最初読んだときにすぐには生きたものにはならなかった、役の精神に対する新しい生きた素材と新しい興奮を与えてくれる、創造的な刺激に対する研究。

 プーシキンは「誠の感情、与えられた環境での真実の感覚」を劇作家に求めましたが、俳優に対してもそのまま当てはまります。従って、分析の目的は詳細に研究し、作品内の与えられた環境に準備することなのです。のちに創造的なプロセスに入ったとき、真実の感情と感覚を持てるようになるためにです。
  直観的感情を刺激するもっともよいものは芸術への情熱熱意です。この2つを使って作中に創造的な刺激を探し、また創造的刺激は俳優の創造性を引き起こします。

  人間の1割を占める理性をどう生かせばよいでしょう。感情が沈黙してしまったとき、理性が役に立ちます。理性は感情のアドバイザーとなりますし、作品をあらゆる角度から探査する能力があります。そしてまた新しい見方を見つけ出すパイオニアでもあるのです。理性による分析が詳細で、変化に富み、深いほど、より熱意や感情や潜在意識的な創造性を刺激する要素を発見するのです。
  分析のプロセスは、いわば、作品とその登場人物に対し、限界まで長く広く深く、幾層にも渡って探求するということで、最初は明白な表面的な所からスタートし、最終的には最も内側にある深遠な精神的なレベルにまで到達するのです。
  作品と登場人物は生活の流れと共に幾つものがあります。最初は事実・出来事・筋・形式といった表面的な面からスタートします。それは、いうなれば階級・国籍・歴史を含んだ社会的な面でもあり、文学的な面ではテーマやスタイル、舞台に即した面でいえば、舞台美術の指定などがあります。更に、心理的な面では、内的行動、感情、内的特徴など、身体的な面では、容姿、行動の仕方、外的特徴があるでしょう。最後に、個人的な面では役者に属する創造的な感覚があります。これら全てが等しく重要というわけではありませんし、これら全てがすぐに判明するわけでもありません。ほとんどが一つ一つ明確になっていくことでしょう。そして、全てが融合していくのです。
  意識できるレベルは地球でいうと土や砂や岩などです。更に深い深いレベルへと進み、無意識のレベルになると、溶岩やマグマがあるように、深い所にこそ人間の本能やパッションがあるのです。その深遠なるレベルにたどりつくと、そこは超意識の領域であり、極めて神聖な「芸術家−人間」であり俳優としての「自分」がそこにはあるのです。そしてそこにはインスピレーションの秘密の源泉があります。これらを意識できなくてもいいですが、全てを持ってこれらを感じるようにしてください。

STUDYING THE EXTERNAL CIRCUMSTANCES

 戯曲の外側から内側に向けて分析を進めていきます。作品に書かれている、意識的に解釈できるところから、作品の奥のエッセンス、見えない何か、意識下で通じることができるような作家の世界へと向かうのです。
  作品の外側で、分析しやすいものは、ファクト(事実)です。すべての細かい状況、全ての事実、これらが重要なのです。それらは作品の生きた流れを構成するピースだといえます。感情やフィーリングではつかみにくい、情報を見つけるのです。これにより、単にファクトを収集するだけでなく、ファクトの中の役柄の立場が見えてきたり、本質や役相互の関係性が見えてくるのです。
  このファクトとはどういうものか。それは例えば、戯曲を全て説明するように話せば、それらはファクトです。スタニスラフスキーはグリボエードフの「知恵の悲しみ」を例に出して説明しています。

例)ソフィアとモルチャーリンは夜通し会っていました。夜明けです。隣の部屋ではフルートとピアノの音色が聞こえます。メイドのリサは眠っています。彼女は、時計を見ていないといけないのに。リサは起きます。そして、夜が明けつつあるのを知り、急いで二人に別れるよう懇願します。時計が鳴り、ソフィアの父が入ってきます。彼はリサを見ます。リサはうまく父の注意をそらし、モルチャーリンを逃します。

 このように、物語を語るように戯曲を話していけば、たくさんのファクトがあることに気がつきます。そして、これらのファクトは現在形であることに気づくでしょう。
  次に、社会面を分析するとどうでしょう。作品は社会的な背景からファクトが生じている場合が多いのです。

例)ソフィアとモルチャーリンのランデブーは、どんな風に見えるだろう? どういういきさつでこうなったのだろう?フランスの教育や本の影響があったのだろうか? ソフィアからはセンチメンタルで、思い悩んでいて、若さ特有の純粋さが見て取れる。しかし同時に素行のだらしなさがある。リサはソフィアを監視していたが、ちゃんとしていないといけない。このことで、シベリアに送られたり、農場を暮らしをさせられる恐れがある。ソフィアの父は当時のパリサイ人の服装であるモンクのような恰好ではないか?

  といった具合になります。
  他にも、作品の構成や構造、調和や素晴らしさ、展開の仕方や他のシーンとの結びつき、キャラクターの造形など様々なことに目を配ります。更に深く読解を進めていくと、芸術上の面も見えてきます。芸術上の面とは、芸術的なことも、演劇的なことも、照明や舞台装置・小道具など舞台のテクニカル的なことも含んでいます。これらはスタッフとの作業を進める中でも理解が深まっていくでしょう。
  こういう風に、非常に細かく、多角的に、深く分析していくことで、作品に精通し、影響を受け、クリエイティブな活動への準備を整えるのです。

PUTTING LIFE INTO EXTERNAL CIRCUMSTANCES

 知力を使った詳細なる分析を進めてきたが、実在するファクトを築き上げてきたにすぎません。これらがあっても、真実の感情・感覚を伴うことが出来なければいけないのです。すなわち、乾いたファクトを生きたファクトに変えなければならないのです。このトランスフォームは芸術における非常に大事な創造力のうちの一つ、芸術的想像力の手助けを借りることで成し遂げられます。理性の面から芸術の夢の球に昇華するのです。
  毎日の実際的な生活だけでなく、想像力の生活をすることができます。俳優の想像力は、登場人物の生活を近づけ、役の特徴や質感を発見したり、適応したりすることができます。想像上の生活は内面からの創造的欲求の力によって、その人自身のなかで創られ、蓄積されます。俳優自身の内面と非常に呼応しています。そして、想像上の生活は、実際の生活よりもより魅力的になります。
  俳優はを愛し、その使い方をしるべきです。これは重要な能力のひとつです。材料を与えられると、そこから想像の世界を作り出せるようにしましょう。玩具遊びをしたり、ゲームに没頭して楽しむ子供の能力と似ています。作家の世界と主題から逸脱していなければ、俳優は夢の世界で完全に自由なのです。

 私たちは、インナー・アイで、視覚のイメージを見ることができますし、インナー・イアーで、聴覚の音を聞くことが出来ます。俳優には視覚を得意とする人もいれば、聴覚を得意とする人もおり、スタニスラフスキーは前者のタイプの俳優でした。
  そして、イメージの喚起の仕方は、受動的なタイプ(パッシブ・イメージング)能動的なタイプ(アクティブ・イメージング)に分けられます。受動的なときは、私たちは想像の夢のなかの観客となり、能動的なときは、夢の中の俳優となれるのです。

 最初はすべてのものを細かくイメージできるわけではありません。例えば人をイメージしていたとしても、顔はないかもしれません。こういった曖昧なイメージでも、時には埋めてくれます。徐々に、具体的なイメージを鮮明化さていき、イメージのなかの人々に感情移入する所まで来たら、とてもいいサインです。
  しかし、スタニスラフスキーは、すべてのものを具体的に細かくイメージするという実験を通して、大事なことに気がつきました。重要なのは、すべてを鮮明化させることではなく、そのイメージの対象が今自分の周囲にあり、そしてそれを感じているということです。イメージの人であれば、その人の顔やヒゲ、服装といったものは本当に重要ではなく、その存在をリアルに感じているということが第一なのです。
  イメージに実在感を感じると、あなた自身の実在感を感じるようになるでしょう。それには、受動的なだけではなく、能動的になるべきです。受動的な観察から、能動的になることで、状況や生活・対象などの中心にいることを発見します。そして、そこに「いる」という感覚を得て、自らがイメージの主人公となるのです。

CREATING INNER CIRCUMSTANCES

  外側の知的な分析から、内側の、魂からの人生・生活に深く入っていくために、必要なのは俳優の創造的感情の助けです。
  観察者から当事者へと変わり、存在しているという感覚(the state of "I am")に至るまでに、スタニスラフスキーは「知恵の悲しみ」の稽古で、周囲の物質的なものに目を向けました。家の中を歩いてみましたが、特に成果はありませんでした。しかし、一瞬だけ、そこにいるという感覚を持つことが出来ました。玄関からドアを開けて肘掛けイスを外に出したときです。時間にして数秒で消えてしまいましたが、確かに存在の真実感をそこで得たのです。キーとなったのは「物(object)」でした。そこでスタニスラフスキーは様々な物を手に取ったり運んだり、ほこりを払ってみたりしたのです。物や壁や空気や、周りの全ては生命感を持っており、確かにリアルで、そのことを感じることで自分が存在しているという感覚が強化されました。 そして、稽古を積むことですぐに実際に存在しているという感覚を得られるようになりました。

  また、自分の演じる登場人物の声を心の耳で聴くことで、身体的にも近付いた感じがしました。身体の感覚が不充分なときには、その人物の魂を感じるようにトライしました。形の上では、うまくいきませんでしたが、人は究極の所、言葉や仕草という手段よりもむしろ、見えない意志の放出(radiation)と2つの魂を行き来する波動(vibration)でコミュニケーションを取るものだと気づいたのです。このことを登場人物に対して試みることで、存在しているという感覚を手に入れる助けになりました。
 そして、意志や感情の光線(ray)を使って、放出したり、受け取ったりするようにしてみました。役というのは、実在しない架空の登場人物です。しかし、存在するのです。様々な分析で、その人物のことが理解できるようになりました。今度は、魂から近付くことが必要なのです。そして魂から交流することが必要なのです。

 もし俳優が、自ら存在しているという感覚、創造的な内面状態を持つことが出来、また生命ある物をリアルに感じることが出来、想像力が作りだした登場人物の幻影とコミュニケーションを取り、自由に動き回ることが出来れば、外内両方の環境に生命を吹き込むことができるでしょう。そして生きた魂の息吹があらゆる箇所でも現れるでしょう。

APPRAISING THE FACTS

 スタニスラフスキーは、劇作家によって作られたファクトに対して、イマジネーションを使って、新しい正当化を試みました。そのときに行ったのは「Magic If」です。「もし、自分がソフィアだったら〜?」「もし、モルチャーリンだったら〜?」と想像したとき、彼は賛同できる気持ちになったり、拒否反応を示したりしました。劇世界と同じような気持ちにはならず、例えば「こんなひねくれたソフィアを愛することなんて出来るだろうか?」などと思いました。
  確かに、演劇作品の中には善人もいれば、悪人もいるし、魅力的な人間もいれば、欠点だらけの人間もいます。従って、そのキャラクターの立場に立つということが必要になります。その人物が客観的に欠点だらけの人間でも、その人物はもっといい人間だと思っているかもしれません。文学上の事実ではなく、そのキャラクターの感じ方に信頼を置くことも必要になります。イマジネーションを駆使して手がかりを掴んでいき、納得できる状態を目指すのです。

 俳優は、観察や知ることを繰り返すことで、経験や印象や記憶が積み重なってゆき、ファクトやイベントの理解が深まり、内なる状況も外部の状況も明確になってゆきます。毎日のように想像力を使ってこうしたことを続けることで、この習慣は俳優にとっての第2の能力になります。劇世界のことが、新鮮で生きた、生の出来事に感じられてきて、自分のこととして染みこんできます。
 
こうなると、最初はただの「登場」という認識だったト書きも、非常にたくさんの意味がある、重要なアクションだと気づいたりします。

 我々が必要なのは、中身の伴ったファクトであり、内部の感情の結果として生まれたファクトです。こうしてファクトを分析することによって、キャラクターたちの闘争や克服、運命や誰かへの屈服など、行動の源が見えてきます。そして、彼らの目的や生き様、内面のライフなどが明らかになります。これこそ、追求しているものです。
  我々は発展していく内面の流れを追っていかなければいけないし、キャラクターの内面の流れのパターンを見分けなければいけないし、また、交差し分岐するおのおのの目的を見極めなければいけないのです。したがって、ファクトの理解は、その人の人生・生活の、内面を理解することといえるのです。
  そして、これらはいつでも新しく理解し直すことが大事です。そのことによって新鮮な想像力の刺激を受けます。常に新しいアプローチを通して新しい刺激を受けることをしなければ、俳優はすぐに飽きてしまい、演技も生きた感覚から遠のいてしまいます。

 

2.The Period of Emotional Experience

 第一章の「The Period of Study」でのワークは、ほんの準備に過ぎません。この章は「創造」です。植物が育つのと同じように劇作家の種は俳優の魂の中に芽づき、根を出すのです。
  準備のピリオドで、与えられた環境を生み出すことが出来たら、次のピリオドでは本物の感情、役の芯、役の内面のイメージ、魂からの生活・人生を生み出すのです。この役の感情経験はベースであり、創造の中でも最も重要な要素です。

INNER IMPULSE AND INNER ACTION

 スタニスラフスキーは、第一章での実験や準備の末、「知恵の悲しみ」のファムソフを自分自身に感じることが出来るし、感情や欲望、目的への衝動を感じることが出来るようになりました。
  衝動は行動を引き起こします。但し、衝動だけでは行動になりません。衝動は内側から来る欲求や充たされない欲望で、行動はそれらを充たす内的・外的なものです。衝動は内的行動を導き、内的行動は外的行動を導きます。スタニスラフスキーは、目的を遂行する手段を探しはじめ、ファムソフの置かれた状況から様々な考えられる行動を創造したのです。但し、役に非常に接近している状態でありながら、ファムソフが怒れば自分は冷静にし、ファムソフが冷めてきたら、自分は感情をけしかけ、怒らせようとしたりしました。そうすることで、全ての微細な内面の調整が出来上がりました。

 「もしソフィアの状況だったら、どうするだろう?」とイマジネーションが感情に尋ねます。そうするとためらうことなく、「天使のような笑顔を浮かべるだろう」。「それで?」「かたくなに沈黙を保つだろう」……そう、感情が答えます。 このように、イマジネーションと感情を使って、「Magic If」を行い、更に「それで?」と質問を深めることで、確かな真実の行動を見つけています。スタニスラフスキーのイマジネーションは劇世界を様々な角度で深く広く見ていきます。まるで劇作家として世界に入っているように、思考の中でキャラクターたちが動いています。

 「ライフ・イズ・アクション」。人生・生活は行動なくして成り立ちません。そして行動は、歩く・腕を動かすなどの動きのほかに、インナー・ムーヴメント衝動があるということを覚えておきましょう。従って、アクションにはこの2つがありますが、マイムにはないのです。それがマイムとアクションの違いです。内的な、身体化するわけではない、魂からの行動(spiritual activity)。そしてこれは、ある目的の遂行に向かって、欲望と衝動が合成されたものであるのです。
  衝動もなく、正当化されてもおらず、内側から生じてくるものもない舞台上の演技というのは、単に目と耳を楽しませるものに過ぎず、心には響いてこないのです。 受け身の、何も動かず、感情に溺れているという演技を好む人もいますが、これはクリエイティブではなく、自分の中だけに留まったものとなり、観客の心まで届きません。
  人生・生活は、衝動や欲求の連続で、絶えず行動を繰り広げているのです。
  ただ、一つ注意しておきますと、これらの衝動や欲求は、戯曲の上で書かれているという借りものではなく、クリエイティブな芸術家としての俳優本人から出てくるものです。俳優本人が役の生活を経験するのです。

CREATIVE OBJECTIVE

 いったいどうすれば創造的な意志の感情がわき上がってくるのでしょうか? 創造的な感情は命令や無理強いしたところで沸き上がってはきません。上手く誘導してあげる必要があるのです。これには、創造的目的(creative objective)が有効です。
  目的は創造性を磨きます。目的は感情を誘発します。また目的は、生きたキャラクターの脈となります。 舞台上の人生・生活は、現実の人生・生活と同じく、目的と達成の繰り返しによって成り立っています。また目的は音楽でいう音符ともいえます。音符がメロディーを導き出すように、俳優は感情を導き出すのです。

 舞台での意識した目的は、ドライで魅力がなく、生きた感情に乏しいものです。そのキャラクターを生きているのではなく、筋をなぞってしまってはいけません。しかし、生きた感情や意志を導き出すための道具としては有効です。理想的な創造的目的は、無意識です。内側から瞬時に沸いて出てくる、直観からの動機です。
  感情や意志、精神を直観的に導き出すコントロール力は、俳優としての高度な能力です。それには目的を本物のものと信じていないければ、感情も信じられません。その技術の一つが感情の記憶でしょう。

 意識的―無意識的  →目的←  内的―外的  魂―身体

 スタニスラフスキーは、例えば部屋に入るというアクションでさえも、一つの動きとして単純に入るということができませんでした。というのも、真実性を保つためには、そこに、廊下を歩き、ドアをノックし、ドアノブを回し、ドアを開け、入り、挨拶をするという細かい動きを意識していないといけないのです。身体的な目的は習慣的で機械的な動きでありますが、同様に心理的な目的にも無限の細かい必然性があります。
  それらの身体的・心理的な目的は、連続した有機的な結びつきがあり、人間の習慣や生活が大いに投影されています。心と身体は表裏一体で、結びついており、その流れには連続性と論理性があるのです。 

 全ての細分化された身体的目的と心理的目的を、キャラクターの気持ちと性格にマッチした形で、舞台上で精密に成し遂げるのは容易ではありません。困ったことに、俳優は、キャラクターやその心情を表現するのに、台詞に頼ってしまうのです。台詞に頼り、台詞の順番に沿って演技する状態では、心理的・身体的目的の論理的な結びつきは壊れており、そのキャラクターの人生・生活は崩壊しています。クリエイティブな目的や感情でなくては、俳優はありがちな演劇的な紋切り型演技になってしまいがちです。

THE SCORE OF A ROLE

 ここでスタニスラフスキーは、「知恵の悲しみ」での一場面を切り出して、どのような身体的・心理的目的をたどっていくかを書いています。それはインナー・モノローグといっていいものです。インナー・モノローグは口に出す言葉ではなく、頭で考えている言葉です。
  例えば、「彼に挨拶をしなければならない。誠実な振る舞いで挨拶を交わさなければならない」「私はソフィアについて尋ねなければならない。彼女はどこにいるのだろう? 元気だろうか? 起きているだろうか?」「私は素早く最終目的に到達したい、すなわちソフィアに会うことだ。子供時代からの愛しい友人、妹みたいなものだ」
  などと、連続した行動とシーン展開によって、その場に沿った内部の感情や目的を端的に書いています。
  このシーンにおいて、彼は「長い間夢見ていたかのごとく、ソフィアと会うために急ぎたい」という大きな目的をおいていました。そしてその目的が達成されると、また次の大きな目的が出てきます。
  みなさんはスーパーオブジェクティブ(超目標)という言葉を聞いたことがあるでしょうが、別に一作品を貫通する大きな目的だけをスタニスラフスキーが述べていたのではなく、実際には小がたくさんあつまって、中となり、中がいくつか構成されて大となるように、細分化しながら常に目的というものを捉えています。
  これらの目的の構成を作ることに慣れることです。

THE INNER TONE

 ここまで述べてきた、Magic Ifや目的で、俳優の創造における必要性を全て満たせるでしょうか? スタニスラフスキーは、ここまでの章でかなり詳細で奥深い方法を紹介してきましたが、そう問いかけます。まだ足りないと感じるときがあるのです。
  選択された目的は、外的なものであり、その影響は表面的に過ぎなかったりします。時折、自身の内面に深く触れる場合はありますが。これらの、いってみれば楽譜は、方法や道筋を示すことはできますが、真の創造性を引き出してくれるわけではありません。人生・生活を生み出すことは出来ず、すぐに命をなくしてしまいます。
  それ故に、次の目指すところは、絶えず自分自身に働きかける目的の発見であり、人生・生活が身体面(行動面)の楽譜となるようなものです。
  創造的な目的は、単に興味を呼び起こすだけでなく、パッションや興奮や欲望や熱望、そして行動を呼び起こすに違いありません。
  内面の充足、感情、心理的な動機があることで、大きな目的も小さな目的も機能します。それらがなければ、心のない役になるでしょうし、目的も空虚なものになるでしょう。

 新しい内面の状態が、目的をリフレッシュさせたり、色づけたりし、また深い意味や新しいベースや、内的動機を添加したりする。この変化をもたらす内面の状態や気持ちをインナー・トーン(inner tone)と呼びます。気持ちの芽生えと呼んでもいいでしょう。
  楽譜が同じでも、目的が同じでも、感情は色々と変化し、一定ではないでしょう。深い部分で、新しい目的を付け足すとどうなるか、スタニスラフスキーは実践してみました。これは、同じ楽譜を違うキーで演奏するというようなものです。その結果、深い部分で色合いが変わり、完全に違う印象となり、より内面が充実しました。

 人は、熱情(passion)に駆られているとき、彼の全てはその中にあり、身体的な目的など忘れてしまっていますし、投げ出してしまっています。実際の生活では、我々は何かをしていることに対して(歩いている、ベルを鳴らす、ドアを開ける、会釈する等)特に意識していません。日常の動作は、ほとんどが無意識に行われています。身体の中に習慣が組み込まれており、魂の中には深い心理が組み込まれています
  身体(body)と魂(soul)の結びつき……「psycho-physical」と呼んでもいいでしょう。
 例えば、愛の熱情だとして、その熱情を役者はどう引き出せばいいのでしょうか? 準備が必要でしょうし、熱情そのものを知っていないといけないでしょう。熱情を引き出しやすい手段を考えるとしても、意識的と無意識的双方の、とても不可解で複雑なパターンとなりそうです。芸術は科学ではありませんが、科学的な見地から見た愛の知識も必要かもしれません。スタニスラフスキーは混乱しそうになりましたが、脳ミソではなく心の中に愛というものを感じることが第一だと思いました。
  スタニスラフスキーはこのように感じました。それは植物のように、種から芽を出し、根を張り、茎が伸び、花が開くという一連のプロセスです。これはどんな熱情にも当てはまります。あくまで自然に。
  全ての熱情は感情的に経験した複雑なものですし、異なる感情や経験、状態が様々に組み合わさったもの。しかもしばしば矛盾をはらんでいます。これは、絵の具のようなものかもしれません。一般的なトーンが赤、青、黄、白、黒だとして、個々や状況等を混ぜ合わせることによって、紫や薄い青、黄緑などに変化します。赤の愛もあれば、青とグレーが混じったような愛もあるでしょう。

  また、熱情そのもののみを考えるのではなく、相対する感情についても探さなければいけません。パレットには様々な色があり、人間の熱情は色とりどりに表現されます。善良な人間を演じるのであれば、悪の部分を、知的な人間であれば精神的に弱い部分を、陽気な人間であれば真面目な部分を、というように。事実、一つの役柄を取ってみても、芝居の進行によって熱情は様々に変化します。
  嫉妬の感情で嫉妬を表現する、悲しみで悲しみを表現する、悪人は全てが悪……という表現では一般的な表現にしかなりません。相反する要素を考えるべきです。人間の熱情の複雑な表現を目指すべきです。
 人間の熱情そのものをよく知り、人間の奥深い心理を熟知すれば、より複雑で詳細で変化に富む表現が可能になります。
 
 このアプローチのためには、戯曲に書かれたそのキャラクターをよく分析しなければならないし、分析するには、細かくも大きくも見ることが必要ですし、目的も把握していないといけません。トーンが多彩で深まれば、より役の芯に近づけるはずです。また、楽譜に内的にも外的にも状況の変化を加えることで、無限の可能性を生み、より深く多彩な役作りができます。

英訳本では三冊に分割されています。
「An Actor Prepares」
「Building a Character」
「Creating a Role」
日本の「俳優修業」は、「第一部」が「An Actor Prepares」を、「第二部」が「Building a Character」を翻訳したものです。

実際には「Creating a Role」は「俳優修業」という和訳が当てはまりません。実戦的なもので、俳優訓練ではないからです。「俳優創造」といったほうが適切でしょう。

日本では翻訳されなかった「俳優修業−第三部−」

スタニスラフスキーも志半ばに未完に終わってしまった最後の著作。スタニスラフスキー晩年の、演技演出理論の集大成。「Creating a Role」

スタニスラフスキーの表現が、更に訳を難解にさせているのですがトライしてみたいと思います。
「Creating a Role」でのスタニスラフスキーの頭の中は単純に言葉で表現できないくらい複雑で深遠になっているため、わかりやすく書こうとはしていますが難しくなってしまいます。

著書の中での重要な記述や、まとめている箇所を抜き出しており、全体の解説ではありません。

作品そのもののストーリーやキャラクターに対して興味や関心や同情があるでしょう。また演技に対してもイマジネーションや意欲を引き起こすものが見つかるはずです。そういったものを引っくるめて、「芸術への情熱・熱意」と書いているようです。
「創造的な刺激」というのも、色々引っくるめていますが、「このときのイリーナの感情がすごくわかる」というのや、「このシーンを猛々しく演じてみたい」という風に、創造心を駆り立てるものだと見てよいでしょう。
ここでの「夢」は、単に眠っているときの夢というよりも、夢のように誰にでも自然につくることができる、形なく自由な想像と捉えるのがよさそうです。
マイケル・チェーホフも「夢」のことを語っています。
Magic If」をどのように使っていたかがよくわかります。スタニスラフスキーは、役の準備を徹底的に行い、役と同化したのち、役の感情に語りかけて、行動を導き出しています。決して、「自分だったらどうするだろうか?」という単純な質問と答えではないことがわかります。
私は、「I DO」「I WANT」という実戦的なシステムを舞台稽古に導入しています。これによって、行動と感情が非常に細かく細分化されます。もちろん、この細分化は、有機的な流れと結びつきに変わります。
psycho-physical(サイコ・フィジカル)は、頭(感情・精神)と身体(行動)が有機的にリンクしている状態のことで、俳優の究極の理想形といってもよいでしょう。
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